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息子と暮らせば ブログトップ

10 まだ続きが・・・ [息子と暮らせば]


    まだ続きが・・・
 本来ならそれで終わるべき物語なのだが、悲しいことにまだ続きがあるのだ。
 Dは当然不合格。これで終わるはずだった。ところがM合格。そして悲惨なのはKの法学部、補欠A。という結果になった。当然俄然、Kに行きたい、息子は。調べてみると去年の補欠合格ゼロ。一昨年は補欠合格10名。補欠がとられると当然合格となる。それからの20日間は入試合格結果の数字を追う毎日であったが、なかなか更新されないのだ。更新されるのは他学部だけで法学部の更新は全くない。Rの締め切りはとっくにあったので捨てざるをえなかった。経済関係なので数学のできないのが分かっている息子故、その結論も仕方ないかなと納得せざるをえなかった。そこで仕方なく、Mの手続をしてKの結果を待つことにする。他学部は補欠全員合格とか、それ以上の合格者を出しているが、法学部は数字が出ない。辛い毎日であった。
 Mの締め切りが2日後に迫った。Kの入試情報を閲覧すると、法学部の補欠入学者の欄に0という数字が入った。息子は夢を見たのであった。あまりにも現実的な逆夢となった。わたしはそれでよかったと思っている。今までの息子のことを勘案するとこういう結果の方が、何となくわたしにとってしっくりする。
 しかしわからないのは、何でこんなことになったのかということである。Dは2点足らなかったと・・・。センター試験の結果が届いた。受けた教科は9割以上か9割に近い数字であった。英語のヒアリングの5割を除いて・・・。そんなすごい勉強をやっていたとは思えない、「いただきます、ごちそうさま」を繰り返していただけなのだ。世の中に理解不能のことがあるとすればどう考えてもこの息子のことだろう。息子と暮らしても何も分からなかった。
(了) 

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9 ほんまかいな [息子と暮らせば]


   ほんまかいな
 夢か現か、狐に化かされたような、すぐには理解できないことが出来 チャイムが鳴るので何気なくでると、郵便局員が速達ですという。へーと思いながら中身をみるとR合格通知。何か異次元のものをみた感じで、その意味をとっさに理解できなかった。合格?ほんまかいな、ためつすがめつ、やはり合格通知であった。この驚きは地球7周半の光の衝撃同様、クオークに質量が存在するという根本的なものが覆ってしまったのだ。わたくしは茫然自失の状態で、めくるめく太陽だけが眩しかった。時間の経過と共にその現実をやっと受け入れることができ、まさに欣喜雀躍、心の底から湧き出る喜びを感じた。これ以上のことはない、でかしたわが息子、御の字だ。家からも通える。心からよかったと、今までそのような感覚は一切持ち得なかったわたしであるが、ここを先途と喜び震えた。やっと行くところができた。本当に嬉しかった。


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8 後期の試験、どこを受けさよう [息子と暮らせば]



   後期の試験どこを受けさせよう

 この根本的な課題を解決するのに資料が全くない。去年なら予備校に相談することもできた。宅浪でしかも予備校の模試も一回しか受けていない。それもかみさんの情報によると公立を受けるつもりで模試に望んだのだという。だから見せられないわけだ。とんでもない成績だったのだろう、推して知るべし。10月の半ばから私立の勉強に切り替えたという。それじゃ去年より分がずっと悪い。どうしたものか、金のかからない易しい大学を探すしかないという結論に達したが、選ぶ方法の見当がつかない。唯一去年の予備校の評価でAがあった。それはTであった。わざわざ東京に行かすこともない、いつ破綻するかもしれない経済状況で・・・。関西で同等の大学はどこになるのだろうと考えても結論は出ない。例え受けろと言っても息子は受け入れるのかどうか、それも分からない。結果が明らかになれば愚息もそうせざるをえないだろう。悶々とした日々が続く。
 

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7 一応受験する [息子と暮らせば]


一応受験する
 交通費が無駄になるのは分かっていても、息子は全てを受けた。はっきり知らなかったが、最初にRをセンター試験で受けたのだった。しかし、センター入試の受験票を受け取っていないのに、という疑問だけは残った。それがこれだった。後になって分かったことだが、私立でもセンター試験で合否の判定がでるということ、だからA日程とかB日程がある。前者がセンター試験、受験料は18,000円。後者なら25,000円。受験料は安いが難度は高い。ヒヤリングもできないのによく受ける気になった。根本が間違っている。
 東京は新幹線で行った。夜行で行けよ、ばか者よ。さすが2回目にいくときは夜行のバスで行った。当然帰りはバスだ。
 そういえば去年の入試でこんなことがあったのを思い出す。息子は東京からの帰りを鈍行で乗り継いで帰ってきた。そのまま乗っていけば30,40分で最寄りの駅に着く。その30,40分手前の駅で降りたので迎えに来て欲しいという。金を全部使ってしまい、そこまでの電車賃しかなかったという。それも最終、ここまで阿呆とは、がっくりきたね。そのもっと前に駅員に訳を話してどうしたらよいか聞けば解決する単純なことだ。その発想がないのか、単純にバカなのか、ぞっとしたね。自信過剰が全てに災いしているのだ。知らないことは教えを請う、この当たり前ができていない。人生最後まで勉強と小生は思っている。勝手な自己判断。経験を積んでの上でならしくじりもある。何もないのだから、しくじりもしない。しくじれば反省して次に活かせる。こんな状況に親を巻き込んで当たり前と思っているのだろう。
 何時だ、もう0時をまわっている。俺は十分に酒を飲んでそろそろ寝ようかという態勢。クルマの運転はできない。たまたまかみさんが飲んでいないので、彼女に運転してもらって俺がナビゲーターやるしかない。2人とも飲んでいたらどうするつもりだった?寒い2月の夜を・・・。高速を使っても1時間近くかかる。
息子を拾って帰宅するともう3時近くになっていた。



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6 ぼちぼち受験態勢 [息子と暮らせば]


ぼちぼち受験態勢
 わたしが山に弄ばれている間、息子は二階に潜んでいる。たまに高校時代の友人が来ては話し込んでいた。毎日30分から1時間外に出ている、多分運動だろう。どこかへ出かけるということは殆どなかった。10月になってからだろうか、9月だったろうか、予備校の模試を受けた。その結果を見せるように言っておいたのだが、一向にその気配がない。とんでもない結果だったことは推して知るべしということだ。あえて見せろとは二度といわなかった。勿論このときでも山に一日いない限り、「頂きます、ごちそうさま」の生活は続いていた。

 わたしが1階で一日中パソコンと睨めっこして、息子はことりとも音を立てずに二階に潜んでいる。一度も息子の部屋を覗いたこともないし覗こうという発想もなかった。時間だけが確実にゆらぎもなく過ぎていく。その内年が明け、受験シーズンが近づいてきた頃「いただきます、ごちそうさま」に変化が起こった。息子が蚊のような声で「試験受けさせて下さい」といったのだ。わたしはそうかと応えただけで、便意を優先させた。どこを受けるのか、聞く気もなかった。まさか去年と同じアホはやらんだろう、いくらバカ息子
といっても・・・。
かみさんが、息子がセンター入試を受けるという。何のためか、意味が分からない。本来ならセンター入試の点数と本試験との合算で合否の判定がでるか、センター入試の点数で本試験受験資格の足切りに利用されていた。何で息子がセンター入試、公立大など受かるはずもないし、何でという疑問だけが残った。後になってその意味が分かるようになった。
 そうこうする内に受験票が届くようになった。わたしは金を出していない、受かるところなら金を出す、去年のような全くの無駄をしたくない。去年息子は俺にどうのたまうたか。俺はこんなとこ受けても無駄だ、受かるところにしろと言った。息子は自信満々で予備校の評価はEやけど、後2カ月勉強したら受かるところまでになる。で仕方なく受験させてしまった。親ばかです。アホ親の真骨頂を発揮しております。今回はかみさんがアホ親を演じております。
 速達なので手渡しとなります。ひとつめが届いた。当然一階にいる小生が受け取ることと相成ります。R(経営学部経済学科)、えーっ、無駄。去年受けてねーっ。だいがく変えたら受かるとでもおもっとんのかね、うちのかわいい息子は・・・。
ふたつめは、目を疑ったねー。D(法学部 法学科)ほうーとしか言いようがない。これも去年受けていない。やっぱり大学変えたら受かるとうちの坊やは信じているみたいだ。信ずれば救われるを信ずれば受かると解釈、自虐の真骨頂か。
 三つ目はM(法学部 法学科)、これは去年も受けた。予備校の評価はE.いーです、よいですと解釈しとるのかね。リヴェンジのつもりなのか、来年のアレンジなのか。悲しくなってきます、窓の外は雨、雪が降っています。
 4つ目はK、しっかーも商学部、経済学部、とどめは法学部政治学科。言葉を失うということが存在することに今やっと気付きました。確か去年きみはWだったんだよね、去年より綺麗になったーっ。ずっと綺麗になったーっ。受けるのは只やナインやデー。一発25,000円也。計75,000円。
 あとは待てど暮らせど受験票がやってこない。何かの間違いではなかろうかと思ってかみさんにそのことを話すとそれだけだという。絶句。
 何で何で、そんな無駄なことをした、ドブに金を捨てるようなものだ。ドブなら拾って洗えば何とかなる。この金はすーと消えたのだ。俺にくれればよかったのに・・・。何でそんなことをしたのだとかみさんに詰問すると、言うことを聞かなかった。どこかでよく聞く決め台詞ですね。親としての判断を説得させるということを放棄する場合、いいですね、言うことを聞かなかった。泣くまで待とう不如帰。2浪させる気はない、だめだったら働けと厳命、間接的に言う。俺の口からは「この中から一つでも受かったら、逆立ちで地球一周してやる」という言葉が飛び出そうとした。わたしは出かかった言葉を何とか口の中に収めた。それは身悶え、怒り狂ったが、わたしの意志が最後に勝利した。万が一があるから言わなかったのかと問われれば、それはないと応える。万が一も、籤なら一千万が一、どう転んでもあり得ないのだから・・・。でもそれを言っちゃー終しめーよ。冷静に、バカをやってもわが息子なのだ。そこまで貶めることもないのだという親の理性がはたらいた、俺にはせいりがないので、りせいがはたらいた。世の中すざまじい凄惨な事件を起こしている若者が多い中、わが息子真っ直ぐ育っていると思う。あまり真っ直ぐ育ちすぎ、中学でいじめ、高校ではハミゴにされました。一見好青年ですが、先ほど言いましたようにどこから出てくるのか、自信過剰。いわゆる調子こくっていう性格なのですかね。わたしと話しているときはそんなことはないのですが、そういう場面を垣間見てしまいました。わたしの嫌なタイプです。高2のとき、突然留学させてくれという。その時はまだ少量の金がありましたが、留学させることなどできるわけないじゃありませんか。100万円だけだったら出す、それ以上はないといいました。それからはその話はしなくなりました。修学旅行は行かないと言い張りました。ハミゴの元はこれだった。友達と息子が思っていた仲間から修学旅行での部屋割り、団体行動からいきなり外された、それが高2の春。従って秋の修学旅行は絶対に行きたくなかった。ハミゴどうし、一匹狼と勝手に部屋割りをされて誰も友達がいない、だからいっても詰まらない。最後の最後まで抵抗した。小生は何とか説得して行かせた。沖縄は行ったことがない、家族旅行はもうない、なら知らないところは、特に沖縄はしっかりみておいて欲しい。損はない。

 で話は元に戻って、かみさんとの話の結論は、今回は前期なので後期にどこでもいいから受かるところを受けさせたいという。本人も2浪はする気がないといっている、なら何であんな大学を選択したのだ、といっても仕方ないので後期にかけることにした。彼女は息子に行き先さえ決まればどこでもよいという。御意。


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5 2009年キノコ日誌 [息子と暮らせば]

2009年キノコ日誌

9月19日(土)晴
 10時頃おきる。3時過ぎからあまり寝ていない。二日酔いはたいしたことはないが、調子が悪い。
 近くを散歩する。キノコが生えていそうなところを歩くが全くない。唯一 ホコリタケ。

9月20日(日)晴
 A氏と山へ。縄を張りにだ。マツタケ山を落とした後、境界の縄を張るのが例年の行事。
 山は無惨な姿である。乾燥しきっていてキノコは皆無である。こんな山は初めてだ。湿ったところで2本小さなキノコ、キツネタケか、それだけだった。盆頃からまともに降っていない、Ⅰ週間前に降ったが何の影響もなかった。今年の山はどんな景色を見せてくれるだろうか。

9月25日(金)晴
 30度以上になった。昼から山を覗く。1時間もかからないと水も持たないで行く。相変わらず何もない。あの雨では何の影響もない。
 そうだ、あの堰堤を見に行くかという気になった。すぐそこにあると錯覚していた。いつも歩いているところからそれほど離れた場所ではないと踏んでいたのだ。ずんずん入って行くもなかなか正体をあらわさない。湿ったところも乾いたところもキノコの姿は全くない。かなり歩いたところに堰堤があった。そこから引き返すつもりであったが、そこにある地図で確かめると山道まで500メートルもない。なら行ってみない手はない。そこから少し行くと急な勾配になる、それがずっと続く。もういい加減にしろといいたくなるほど歩く。道も定かではない。
 尾根を歩いてやっと山道に出る。どの山から降りるか、悩んでもとの山から下りるルートにする。距離感覚がまるで違う。やっぱり衰えているのか。かなり歩いて沢沿いに降りようとしてこのあたりのはずと思っても水の音がしない。どんどん下がる。ここと思いつつも自信がないのでどんどん下る。どうも行きすぎたと思ったところでもとの山方面に入る。さっぱり分からないところだった。また少し降りるとああここかという場所に出た。左か右か、どちらをとれば良いか計算する。右をとる。山ではこのように歩かされることがある。これが山であり、惑わせる山女がいる。

9月29日(火)曇
 雨の予報が続いたが一向に降らない。雨に備えて落ち葉を掃く。
 栗が順調に落ちてくる。この3日で60個近く。柿はひどい、小さくて病気になっている。不作だろう。もらった枝豆を配る。

10月1日(木)晴
 11時頃までだらだら寝て山に出かける。二日酔いだがそれほどでもない。ところが山を歩くと耐えきれなくなってくる。坂になると怖ろしく辛い。休み休み行く。よく入る山からはいるのを躊躇する。まだ濡れている。勇気を振り絞り入ることにする。少し歩むが辛い、こんなつらさは初めてだ。這々の体で急斜面を登り終える。途中吐きそうになり吐くが何も出ない。
 山は何もなく、キノコのキもない。それでもマツタケの出ていたところに削り取ったあとがある。シカかイノシシの仕業であろう。全くキノコがないので諦めて降りることにする。思い直して最後の階段をチェックする。一番下に小指ほどのマツタケ、隣はマツタケが抜けたあと、小さいながら出ていた。他のキノコは全くない。
 
10月3日(土)晴
 山へ。酒は少し残っているが、この前よりはましだ。また同じ山から登る。キノコは同じく全くない。残しておいた最後の階段をチェック。カタツムリに少し食われたのが1本。あとは全く音沙汰なし。他のルートのかかりの岩場にも行くが、気配はない、諦めて降りることにする。谷の岩場にさしかかりすっと渡ろうとしたが、すってんころり、ケータイが水の中につかって飛び上がってくる。前に転んだので良かった。手をつくことができた。初めてのことだ、岩場で滑ったのは。濡れた岩場気をつけるべし。

10月4日(日)晴
 10時頃B君と山へ。コースを踏破するが、キノコは2本だけ。これだけどこにもキノコが見つからないのは変である。雨が降ってから1週間も経っているし、途中でも降っている山も湿っている。なぜ、なぜ、ということだ。3時半頃帰る。

10月5日(月)晴
 いつもの山から上がる。3時頃飲んだので二日酔いかと思ったが、たいしたこと無かった。日本酒はやはりだめだ。だから焼酎とウイスキーにした。しかしこのような生活はやめなければならない。血液検査をするべきだが、怖い結果が待っているようなので先送りしたい。
 上の方でアミタケ3枚。名の分からぬいつもフェアーリングを描くキノコ少々。1本も出ていなかった。

10月9日(金)晴
 9時過ぎに山に行く。昨日酒を3週間ぶりに抜いたのでいつも通り眠れなかった。二日酔いなら10時以降になる。
 昨日の台風で道は荒れて木々が道路を塞いでいたのだろう。取り除いてあった。濁流の痕、砂や泥が道路にあふれているところがあった。沢の水が増えて渡るのが大変だった。
 松笠に生える小さなキノコが大量に生えているだけ、あと1種類2本。あとは相変わらず。マツタケの音沙汰は遠い。土を押さえれば反応があるはずが、全くない。
 最後の栗を拾う、台風のあとだから。

10月15日(木)晴
 2度寝して9時過ぎに起きる。10時前に山へ。色々考えたが、いつもの山からはいる。
 いつものルートから尾根に上がり、アブラシメジの群生地を確認に行く。全く何も生えていない、どんなキノコもない。マツカサに生えていたキノコは跡形ももなく消滅。
 マツタケのでるところは指で押さえるも、手応えなし。
 人が入っている。キツネノチャブクロがひっくり返っている。
 鳥の羽がまき散らされている。行きにはなかった、何の仕業か不可思議である。
 
10月17日(土)晴のち雨のち晴のち雨
 9時半にA氏と山へ。
 違うルートから入る。キノコは相変わらず生えていない。ムキタケが一つ。小さい。これは夏の終わりに大量にでる。階段状のところににいつもの小さなのが一つ。キノコはない。しばらく行くと食べられたのが1本。
 谷の途中に1本、A氏見つける。
 谷から上がった蜂の巣がある(今年から)ところに食べたあと1。
 次の木場は何もなし。
ニンギョウダケに似たキノコが2本、ツルダケが1。
 途中雨が降る。
 雑タケが相変わらず生えていない、菌が8月までの雨で流れてしまった。落ち葉が流されている。あと十日ででないと怖いことになる。

10月19日(月)晴
 いつもの山へ。途中から上がれないかといつもの手前から登ることにする。道らしきものに沿っていくも無くなる。背の高くなったウラジロをかき分けての直登。這々の体で何とか尾根にでる。30分もかけていつもの途中にでる。気力が失せた。
 アブラシメジも全く影形もない。奥の階段もさっぱり。イグチ類が固まって5本ぐらい生える。
 つぎのところのコケの階段に小さなのが1本。後はなく、いつもでるところにイノシシが掘っている。2センチぐらいのが土の中に隠れている。最後の階段に小さな小さな1本。残しておく。1週間はかかるだろう、地面から顔を出すのに。二つの木場を無理してみる。相変わらず全くでていない。この前でていた1本のところも次がない。もう他を回る気持ちはなくなった。山を下りる。
 雨の降る予定もない、不作というより山に異常が発生している。

10月22日(木)晴
 A氏と山へ。違う道から。
相変わらずキノコの生えてない山模様だ。もちろんマツタケもない。途中でA氏、立派なのが1本。
 谷の手前、小さな1本。
 この前のところでA氏2本。
 最後のところで2本。

10月23日(金)晴
 いつもの山へ。途中から登るも前と同じところに出る。仕方なくいつもの入り口から登る。何もない。アブラシメジが少し、2,3本。
 どこも何もない。奥でいつもとれるところが全く今年は出ていない。よく見ると松が枯れていた。また木場が消えた。
 いつもの山の下がり、3本。
 最後の階段1。その上1。
 尾根を歩く。キノコはまるでなし。歩いているといきなりましな道に出る。シカもいた。歩いてみると、どうも違う道に入ったようだ。歩けば歩くほどその道以外なかった。
後は全くなし。  

10月25日(日)曇
 なにもない、アミタケ少々。
 一昨日あったヤマイグチがきれいになくなっていた。ということは誰かが食べた。シカか、イノシシか?他のキノコも食べなければならなくなったのか、初めて見る光景だ、ドングリは豊作なのだが・・・。

10月27日(火)晴時雨
 A氏と山へ。谷に出るまで全くない。いつも出るところで小さな一つ。その下を探ると3本。その高さを歩いていくと梨に似たのが一つ落ちている。梨にしては小さいがそれを試食する。梨であった。こんなところに梨はない。闖入者が落としたのかと訝ったが、梨の木があった。まだもう一つ木になっている。そこにマツバハリタケ、それにマツタケがあるある。斜面の下にあった。
 最後の岩場に1本、初めて出る。

10月28日(水)晴
 当然いつも行く山にも生えていると信じていく。上がった右の階段、その上の尾根、最後の階段も一本もなかった。何も出ていない。
 山道の最初、見ていないところを見ると道と岩場の間の階段状のところに1本、よく見るとクロカワ2枚。岩場から南の階段を見ると小さいのが1本。
 途中から沢に向かって横切っていこうとしたが、マツは全くなくなり怖ろしい傾斜になっていた。何とか降りるとダムの下に出た。道は流され途中で切れていた。その上をまた登る。五葉松の苗がいっぱい。キノコは全くない。尾根伝いに上がると予想通りの場所に出る。
 疲れたので帰ることにする。

10月29日(木)晴
 たばこを仕入れて山へ。
 今年初めての谷ルート、ダムに思ったより早く到達。出そうなマツの林に目星をつけて登る。良い林があったが全く出ていない。続きを上に行くともう古い木々しか生えていない。植林されているところはなく、いつも上がるところに出る。いつもは見ないが少しチェックを入れるも全くだめ。
 谷コースに戻り逆走する。梨の木の下に2本、少し離れたところに1本。最後の島を見ていくことにする。全くなかった。続けて生えることがない、梨の木の下だけだ。これ以上いたって仕方ないのでおりることにする。

10月31日(土)晴
 予定していなかったが山へ行く。上がった尾根に1本、振り返ると2本。遠い下りまで見に行く。開いた小さなカサ、珍しい。シカとイノシシとの競争なので開き(ヒラキ)は滅多にお目にかかれない、殆どがコロである。
 アブラシメジ少々。アミタケ少々。シメジのでるところから階段を上がっていくとくろこ(クロカワ)が見える、まわりにもきれいなのが2枚。後は全くない。

11月2日(月)晴時々雨強風
 寒い。A氏、C氏と山へ。
 谷から山道へ。シロシメジ、アミタケ少々。マツタケは全くない。最後の岩場の手前に1本。C氏に進呈。降り口にキシメジ。いよいよ終わりの様相を呈してきた。
 
11月4日(水)晴
9時半頃山へ。何もない、アブラシメジが少々、後はない。最後の山を下りる階段でいつも見ない隅に開いたのが1枚。階段状のところではキシメジが食べられている。とうとういろいろなキノコに手を出したのだ、シカだろう、この喰い方は。
 

11月9日(月)霧後晴
 霧がすごい、曇なので霧が晴れるのは遅くなるだろう。霧に濡れての山はイヤだなーと思って9時半頃でかける。
 山はあまり濡れていない。いつものルートから登る。何もない。アブラシメジは少し。 シメジが出ていた。スープとシメジご飯にはなる量だ。もう一カ所は全く音沙汰がない。奥に行くも何のキノコもない。
 シロシメジ1枚。最後のところ、今年初めて岩場を覗く。降りる岩場の下で開き1枚。 キシメジもほとんどでない。

11月10日(火)曇のち雨
 3時までもちそうなので山へ。ダムから上る。いい生えはあるが全くない。がんばって岩場を上がったり下がったり、でも何もない。一番遠い尾根からいつもの道に戻った。

11月12日(木)晴
 いつもの山へ。何もない。

11月15日(日)晴
 いつもの山へ。斜面のツツジの茂みに1本。アミタケ、キシメジが生えてきた。
夕方、友来る。

11月18日(水)曇のち晴
 B君と山へ。やはりキノコはなかった。最後の砂地の斜面にクロカワ5枚ほど。
 ほかはなかった。

11月26日(木)晴
 山へ。先週までキノコは出ていた。まだありやなしか、を確認に。キシメジ1本、スミゾメシメジ(訂正シモフリシメジ)1本。あとは何もない。
これにてキノコ狩り終了


タグ:マツタケ
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4 山へ [息子と暮らせば]

             山へ
9月に入ればそわそわしてくるものなのだ。秋雨も気になるところ、もちろん梅雨の時期にどれだけ降ったかもチェックしている。しかし梅雨の雨は影響が無くなり、帰って悪い結果になっていると思うこともある。要するに降りすぎで、何もかも流してしまう雨量となる。地面が削られ菌糸の育つ場所が無くなってしまう。そうなると勢い秋の雨に期待せざるをえない、特に9月始めの雨だ。8月の終わりにはいつものキノコがちゃんと出ているか確認に歩く。全く歩いていないものだから、これが結構億劫になる。まだ夏だし暑い。意を決しなければなかなか一歩が出ない。
 夏の終わりに結構なイグチ類がでている。それも刺身で食えるものが・・・。いつも出かける決意をするのが遅く時機を逸している。で今年こそという思いでチェックに入る。なるべく歩く距離が少ない姑息な方法を取る。クルマでできるだけ近い場所まで行って山に入る。それもイグチ類がよく出ているところをピンポイントにして。クルマを適当なところに止めて、着替えて靴の紐を締める。これでやっと決心がつく。河原から入る。いつもの景色かどうか確認する。サギソウも咲いているはずだ。所々に可憐なサギソウの姿を見つける。前は群生していたが、ハイキングや業者が採り尽くして一時消えかけていた。元には戻らない、でもあるだけでほっとする。池にはヒツジグサが花を咲かせているが、ジュンサイは殆ど消えていた。随分前は食べる分だけ取ってスープにして食べていた。
尾根に向かって登山道を歩く。干からびたカラスダケのようなものが少しあっただけでイグチどころかキノコそのものがない。どこに生えていても不思議でもないのに全く生えていない。尋常ではない。せめてムキタケぐらいはと思っていたが、全く見あたらなかった。今年の秋のキノコはこのままでは大不作だ。本格的に山に入る前に週一度は、山を読んで今年の作柄を確定していく。いつ本格的にはいるか。そして記憶が定かでない山の境界の確認だ。もめ事が起きたとき、滅多に無いのだが、確信が持てないと仲間にも迷惑をかけることになる。全てわたしが仲間に教えているからである。わたしの責任となる。だから記憶が薄れたところは必ずアルコールまみれの壊れかけた脳に念押しをする。そして9月の気温、雨量、今までのチェックで今年のキノコの最盛期を予測して行動する。総合して勘案すると今年のマツタケのピークは遅い、しかも大凶作。10月の20日ぐらいになると予想した。

タグ:キノコ
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3  オヤジとは? [息子と暮らせば]

オヤジとは?

 相変わらず昼飯は俺がつくり無言でひたすら食う。「頂きます、ごちそうさま」の繰り返しだ。いつの間にか小生が作り、息子が後かたづけをする構図となる。
 ところが外からはうまくいっているようにみえる父子関係が根底から崩れた時期がある。一向に息子が何も言わずに家に居座っている。息子が何か言うだろうと思って期待していたがいわない。5月になっていたろうか、4月の終わり頃だろうか、夕食のとき息子におまえ何で家にいるんだと聞く。すると息子は憎々しげに「おまえと一緒や」と抜かしたのである。わたしは全くそんな言葉が出てくるとは夢にも思っていなかったので、二の句も継げず言葉を失ってしまった。同席していた娘もかみさんも何も言わなかった。それもショックだった。今までそんな兆候もなくここまで来たので予想だにしないことだった。
 ねじめ正一が父親のことを話しているのを聞いたことがある。彼が小学生のときだろうか、何でうちは貧乏なのかと父親に聞いたという。するといきなり体をつかまれ腰払いのような技で庭先に飛ばされたという。彼はいう、オヤジはこういうことを言われたらこうしてやるんだということを決めていたのだと感じたと・・・。それともう一つは彼が26歳ぐらいの時、同人の何人かをオヤジが通っている新宿ゴールデン街の飲み屋に連れて行った。そこで、おいと彼を呼びかけるオヤジがいていきなり手を握り1万円札を握らせて姿を消したという。これもオヤジが一度はやりたい、息子に対する「決めごと」だったのだろうと、ねじめ正一は語る。わたしにはそんなシナリオなどない。白紙のシナリオが宙を舞うだけとなる、あまりにも悲しい。俺は2日ほど昼飯を作らなかった。ひっそりしていた二階が騒々しい。やる気を無くした、くそったれといっているようなものである。通過儀礼であるオヤジへの反抗が今頃あらわれるとは、あまりにも遅いが、通過儀礼はあった方がよい。俺など中学生にはあったが、暴言は吐かなかった。俺はオヤジにどつかれてどつかれて育った。悪いことをしたら仕方のないことだが、理不尽に暴力を振るわれることが多かった。中学の終わりか、高校の始めに同じことが始まったとき「いいかげんせいよ」とオヤジの体を捕まえて怒鳴り返すとそれ以降暴力沙汰は全くなくなった。暴力を受けて育つと大人になって我が子を虐待する傾向があるとまことしやかに囁かれるが、わたしは一度も家族を殴ったことはない。しかし、いつも頭ごなしに言う癖が抜けきらず、非難ごうごうだ、面目ない。
 2日ほど経って昼飯をつくり、二階に食うかと呼びかけると素直に降りてきた。それから、また「頂きます、ごちそうさま」の昼飯が3月まで続くことになる。


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2 仕事がない、でも雑用は永遠にある [息子と暮らせば]



仕事がない、でも雑用は永遠にある

 去年の3月の28日に俺の仕事はなくなってしまった。息子は高校を卒業した。2階にひっそりいる。どうするのかも何も聞いていない。予備校の判定では全てE判定で、当然どこも行くところがなかったことだけは承知している。だから当然どうしたいのかを言わなければならない、その手続を無視してひっそり2階にいる。仕方なく昼食は2人分をつくり無言で喰う毎日が始まった。しかし「いただきます、ごちそうさま」をわたしが唱えると、息子も和するようになった。何故家にいるかを聞くのも面倒なのでいつか言うだろうと放置してきた。それがいまだに続いている。
 俺はなるべく外に出て今までできなかった雑用に精を出した。特に圧巻だったのは、死んだ母の残した梅酒の瓶群だ。瓶といっても昔、味付け海苔が入っていた徳用瓶だ。それが狭い倉庫に50個近く、20年以上の代物である。それも実が入っているから明らかにカビになっているものや濁っているものや様々だ。外から分かるものは柿や栗の根の近くに穴を掘って放り込む。液体状のものは一応味見してグレードを決めていく。よくそんな気が起こると思いの方もおられると思いますが、アルコールが入っているのですぞ、アルコールです。メチールなら恐いが、エチールです。わたしには目がないアルコールなのです。昔、「追跡者」という映画がありまして、その追跡者が、逃亡者が山小屋に残したと思われる缶詰に指を突っ込んで口に含むのです。何をしているかお分かりですか?その味が新鮮かどうかで、逃亡者がいつここにいたのかを判断するのです。
 そんな気分で梅酒の鑑定を始めました。渋めのものを穴に流し込み、濁った味のよくないものも捨てていきます。すると味のよいものは透明度の高いものに落ち着いてきたのです。透明度のよいものを全て味見してヴィンテージの品定めをして新しい瓶に入れ直して書き込む。かなりの数量、1升瓶にして10本近くの飲める梅酒となった。その内ヴィンテージは3本ぐらいだった。アルコールの入っていないシロップと記してあったものは何ともいえないいい味だが梅酒ではない。甘いのは好きではないが、いいものもある。しかし基本的には甘いものは飲まないので、お裾分けをしたりしたがまだある。その後が大変なのだ、瓶の洗浄だ。すぐにやっても綺麗にならないので一ヶ月ばかり水を張って置いておく。しかし、蚊が湧くまでには処理をしなくてはならない。それをしっかりやり終えた後、倉庫の棚に並べておくことにした。全然要らないのだが、捨てようがないのだ。
 鮒ずしの樽やもう一つ樽があるが、20年近く放置してある。それらは少し臭うものとして存在感がある景色の一部として封印している。有り体に言えば処理するのが恐いのである、何が飛び出すか分からないからだ、しゃれこうべが出てきても悪霊が飛び出しても何の不思議もない。であるから魑魅魍魎を封印しているのである。
人間という厄介なもの、何が一番厄介かといえばゴミ塵芥排泄物だ。家庭ゴミや排泄物は回収してくれたり下水道に流すことができる。もちろん金はかかる、待ったのかからない課金である。ところが大型で、一般のゴミに出せないものが家の中に堆積していく。只のときなら何とか出していたが、それらが有料化されると家の中がゴミ捨て場と化してしまう。このような世の中になるとゴミに金をかける余裕はなくなっていく。捨てることもできず、家二軒あれば一軒は大型ゴミで満杯になってしまう。どれだけ無駄なものを買っていたかだ。過去の亡霊と一緒に暮らしているようなものだ。処分したいのは山々だがそんなものに金を使う余裕はない。それには手をつけない。
 手がつけられるのは敷地内にあるあまり大きくない木々。庭を構成したマツや檜やその他諸々の木は、10年手を入れなかったので、手のつけられない大木と化した。そしてマツは枯れてしまった。倒れれば屋根を壊してしまうだろう。不安材料ばかりで安心材料は何ひとつない。世界の経済状況をまさに先取りしているのが我が家の姿である。
 下を見れば蔓ニチニチソウが一草独裁、上を見れば藤、三つ葉アケビ、テッセンの三つ巴の戦い。道路に面した藤は切っても切っても雨後にのびる。道路に散らばった桐の花を掃き集めたり、側溝を掃除したり、やることはいっぱいある。不要な檜の古木を切ったり、楠の枝を切ったり暑くなるまでは殆ど外回りの作業をする。暑くなってくると雑草を取り除いたり、蔓ニチニチソウ支配の一部を奪還したりする。こういう作業はやればやるだけ結果として表れるので心地よい達成感を味わうことができる。フラストレーションが溜まらない。俺には単純作業が向いているのかも知れない。しかし暑すぎると何もする気にならない。そんなときは、本でも読むかということになるが、二日酔いか、呆けた頭だから読んでも何を読んだか覚えていない。そうこうするうちに夏も終わっていきそうな気配になる。 


タグ:梅酒
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1 さらば愛しきものよ [息子と暮らせば]

         息子と暮らせば







阿呆伝念








   さらば愛しきものよ
2010年4月6日火曜日、本日は気温が上昇して暖か穏やかな日であった。気温が10度位にしか上がらない日々が続き、日中もストーブの世話になっている。今日はその心配はなく、外回りの仕事を漸くする気になった。
 昨日、金魚が住んでいる手水鉢を今年初めて覗く。寒い日々が続いていたのでまだ冬眠しているものだと思っていた。2匹いるはずだが、一匹は沈んでいて既に死んでいた。もう一匹は元気に生きていた。餌をやるも食べない。死んだ方を外に出してやり、放置する。 水の入れ替えは3カ月に一度か、金魚たちが切ない呼吸をしているのを見つければ水を換えるという方法で今日までやって来た。金魚をいつ手に入れたかは定かでないが、子ども達が幼少の頃に間違いないだろう。あるいは小学生のときか。何匹も死んでいったが最後にこの2匹が残った。誰も面倒をみないのでわたしが育てる羽目になる。水槽で自動空気挿入機も使っていたときもあったが、結局花崗岩をくりぬいた手水鉢に落ち着いた。内径50センチで深さが30センチぐらいであろうか。本日から主の居ない無用の長物となった。
 昨晩金魚を川に放流することに思い至る。一匹では何となく侘びしい。川なら他のサカナもいる。薄暗い手水鉢の中よりよかろうと思う。それが本日の行動となった。生きているのと死んだものと両方携えて100メートルほど先の川に赴く。水温もそれほど低くなく住むのにはよい環境と勝手に決めつける。死んだ方を先に投げ込み、次に生きている金魚を投げ込む。金魚は突然の変化が飲み込めず一瞬呆然としていたが、ゆっくり泳ぎ出す。蘆の茂みに入っていきまた戻りつつ川の感触を確かめている。しばらく眺めて別れを告げる。さらば。
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