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狂牛病(BSE)情報1172 英、スコットランドで狂牛病発生 [平成阿房伝]

ひとこと:イギリスのスコットランドでは10年ぶりの狂牛病。イギリスのウエールズでは、3年ぶりとなる。アメリカのように非定型だと入っていない、従来の狂牛病としている。注目すべき重要な狂牛病発生である。イギリスは死んだ4歳以上の牛を検査するらしい。日本では36ヶ月以上は狂牛病検査する。

10/19(金)18   9:36配信

英スコットランドの農場でBSE確認、食品の流通網には入らず


(CNN) 英スコットランドの行政府は18日、アバディーンシャー州の農場で牛海綿状脳症(BSE)の症例が確認されたと発表した。

食品管理当局はこれについて「孤立した症例」だと述べ、食品の流通網には入っておらず、人に健康被害が出る恐れはないと説明している。BSEが見つかった農場は明らかにしていない。

当局者は「感染源について語るのは時期尚早だが、検出できたのは我々の監視制度が機能している証しだ」と強調。不安がある農家は、直ちに獣医師に助言を求めるよう促した。慎重を期すための措置として、「定められた手順」に従って、この農場からの家畜の移動は禁止したという。

スコットランドでは、農場で死んだ4歳以上の家畜全頭に対し、BSEの検査を義務付けている。行政府では、動物から動物へ直接的に感染することはないとしながらも、EUの規定に従って、感染が確認された牛の群れは殺処分にすると説明。「さらなる症例が確認されれば対応できる態勢にある」と強調している。

BSEに感染した牛は中枢神経を侵されて、通常は死に至る。攻撃的になったり方向感覚を失ったりする症状のため、「狂牛病」とも呼ばれる。感染した牛肉を人間が食べると、変異型クロイツフェルトヤコブ病(vCJD)を発症することがある


BSEは1986年に英国で初めて発見され、2001年までに18万頭の牛が感染した。ピーク時の1993年には毎週ほぼ1000頭の感染が報告されていた

1996年には世界各国が英国からの牛肉輸入を禁止し、欧州連合(EU)が10年後に解除するまで禁輸が続いた。

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石のつぶやき1154 PCBを覚えていますか? [平成阿房伝]

10月10日(水)18  PCB(ポリ塩化ビフェニル)を覚えていますか?
 市広報で、PCBに関する呼びかけが「お知らせ」欄に掲載されていた。
事業者のみなさんへ
PCBを含有している電気機器等の廃棄物等を保管していませんか
 PCBを含む電気機器(変圧器、コンデンサー、家庭用を除く照明用安定器など)等を使用またはこれら廃棄物を保管しているときはのPCB特別措置法等に基づき届け出が必要です。事業所の電気室、キュービクル、倉庫などに保管されれてないかを点検してください。
 PCBを含む電気機器等は通常の産業廃棄物処分できません。不法投棄や不適切な処分をした場合、法に基づき厳しく罰せられます。
産業廃棄物対策課 (市広報より)





 PCBは生体に対する毒性が高く、脂肪組織に蓄積しやすい。発癌性があり、また皮膚障害、内臓障害、ホルモン異常を引き起こすことが分かっている。  日本では、1954年(昭和29年)に製造が始まったが、1968年(昭和43年)に起こった「カネミ油症事件」をきっかけに、1972年(昭和47年)の生産・使用の中止等の行政指導を経て、1975年(昭和50年)に製造および輸入が原則禁止された。(ウィキペディア)

日本政府はPCB特別措置法等に基づき、上のようにPCBを含む電気機器等を所持している個人、法人に厳重保管するよう指導した。当時PCBを安全に処理する方策がなかった。安全に処理する方法が確立するまでの間、個人や法人に保管を求めたのである。その後相次いでPCBを処理する技術がなされていくが、時間の経過と共にPCBの保管がいい加減となっていくのは当然のこととなる。大量のPCBが自然界に流失されていったことになろう。政府のPCBの処理期限は2016年であった。今年は何年?今でもこのような呼びかけがなされているのである。世界の主流は、燃焼方式である。日本でもPCBを製造していた鐘淵工業(カネカ)高砂工場でいち早く燃焼による処理方法が確立したが、住民の反対で燃焼方式が否定された。日本は世界で唯一の高額な化学処理法を選んだ。 時間とコストのかかるこの方法(化学的処理)で、大量の高濃度のPCBが処理されない。処理期限を延期してこのような呼びかけをしているのである。何とも悠長な話である。国民の健康など何とも思っていない。利権だけしか考えていない。  因みに1920年代にこのPCBを大量に製造していたアメリカの企業はどこだろうか?  今年6月、ドイツ・バイエルの傘下になったモンサントである。


PCBとダイオキシンについて
ダイオキシン類の主な発生源は、ごみ焼却などの燃焼によって発生することが一般に知られていますが、その他製鋼用電気炉、たばこの煙、自動車の排気ガスなど様々な発生源があり、いずれも意図的に製造したものではなく、非意図的に生成されたといえます。 一方、コプラナーPCBが環境中に存在している要因としては、ごみ焼却によって発生することが判明しているほか、トランス、コンデンサ等の紛失・不明による機器内に含有していたPCBの流出が指摘されています。(ウィキペディア)


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石のつぶやき1153 桑港市長の対応 ガキと大人 [平成阿房伝]

ふたこと: 桑港市長の対応    ガキと大人
1983年当時、サンフランシスコ女性市長は世界で初めて市庁舎での禁煙を実施する条例を実施した。これが世界の禁煙運動の嚆矢となった。前市長はゲイの活動家と共に白人の同僚議員に射殺された。ここでヒッピーが生まれ、差別されている少数派たちが全米から集まった。市として慰安婦像を受け入れることは当然であろう。「ここサンフランシスコに住む人々は世界で一番幸せである」と前市長は言っている。そのような都市と姉妹であることは、名誉あることではないのだろうか。 「 サンフランシスコの慰安婦像は、奴隷化と性的な人身売買の恐怖に耐えるように強制されたこと、そして現在もすべての女性が直面している闘争の象徴です。 犠牲者は私たちの尊敬に値するものです。この記念碑は私たちに忘れてはならない出来事や教訓を思い出させるものなのです」というサンフランシスコ市長に大阪市長はどう答えるのか。

10/5(金)18   12:45配信 錦光山雅子/ハフポスト日本版

大阪市の姉妹都市解消にサンフランシスコ市が反応「1人の市長が人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできない」

アメリカ・サンフランシスコ市に設置された慰安婦像を巡り、大阪市がサンフランシスコ市に姉妹都市提携解消の公開書簡を送ったことを受け、サンフランシスコ市は4日、「一人の市長が、両市の人々、特に60年以上存在していた人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできない」などとする市長の声明を発表した。

両市は1957年から姉妹都市の関係を続けてきたが、2017年9月にサンフランシスコ市内に設置された慰安婦像の碑文に刻まれた文言「性奴隷にされた何十万人の女性」を巡り、吉村洋文・大阪市長が「日本政府の見解と違う」と抗議。さらに慰安婦像が同市に寄贈されることが決まると、市有化を撤回しない限り姉妹都市関係を解消するとの考えを同市に伝えていた


姉妹都市の関係の解消を伝える大阪市の手紙ではこう経緯を説明している

慰安婦像と碑をサンフランシスコ市の公共物でなくし、両市民が友好的に交流できる環境を整えていただくことを期待し、7月に書簡を送付させていただいたところですが、私や大阪市民の希望は非常に残念ながら、貴殿には届かなかったようです」

その上で姉妹都市解消の理由を次のように述べている。

「この間の事実経緯、貴市の決定により、長年にわたって相築き上げてきた友好関係の礎である両市の信頼関係は根本から崩れたと言わざるを得ず、これ以上、姉妹都市関係を継続することはできないと判断するに至りました


大阪市の手紙を受け、ブリード市長が4日に公表した声明は次の通り。

「一人の市長が、両市の人々、特に60年以上存在していた人々の間に存在してきた関係を一方的に終わらせることはできません。私たちの目には、サンフランシスコと大阪の姉妹都市の関係は、今日も人々を結びつけている絆を通じて続いているように見えます。そして、サンフランシスコは、二つの大きな都市の結びつきを強めることを楽しみにしています」

「日本と日系アメリカ人は、サンフランシスコで独自の豊かな歴史があり、サンフランシスコに永続的かつ有益な影響を与えました。日本と日系アメリカ人は独自の豊かな歴史があり、サンフランシスコに永続的かつ有益な影響を与えました。 サンフランシスコは、多様な都市になるための大事な要素である、ジャパンタウン地区がある3つの市のひとつです。サンフランシスコの慰安婦像は、奴隷化と性的な人身売買の恐怖に耐えるように強制されたこと、そして現在もすべての女性が直面している闘争の象徴です。 犠牲者は私たちの尊敬に値するものです。この記念碑は私たちに忘れてはならない出来事や教訓を思い出させるものなのです」

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石のつぶやき1152 カツカレー3500円食い逃げの度胸3人か [平成阿房伝]

投票前のカツカレー「4人が食い逃げ」 
ふたこと:良い度胸だ。褒めるに価する。小心者のわたくしにとってそんなこと出来るはずもないのだ。伸次郎は安倍のカツカレー3500円を喰っている。3500円のカツカレー、安倍が出したのか、どこの金を使ったんだろう。石破陣営は1200円のカツカレー、どっちがうまかったのだろう。この選挙では公職選挙法が適用されないので、何でも有りだ。カツカレーだけの話ではなかった。だから「食い逃げ」が許せないのだ。何でも有りの輩が跋扈する安倍の「美しい国」。
9/21(金)18    7:19配信 朝日新聞社

投票前のカツカレー「4人が食い逃げ」 安倍陣営嘆く



 カツカレーを食い逃げしたのはだれだ?――。自民党総裁選で安倍晋三首相(党総裁)の陣営が投開票直前に振る舞ったカツカレーを食べながら、実際に首相には投票しなかった議員がいるのではないか。首相陣営がこんな話題で持ちきりになっている。



 首相陣営は20日昼、東京都内のホテルで「必勝出陣の会」を開催。首相も出席して結束を確認した。首相を支持する衆参議員用に験担ぎのカツカレーが333食分振る舞われ、完食された。業界団体関係者ら議員以外の出席者用には別途、カレーが準備されていたという。

 ところが、実際に首相が得た議員票は329票。少なくとも4人がカレーを食べながら首相には投票しなかった計算になる。陣営幹部は嘆く。「カレーを食べて首相に投票しなかった議員がいる。一体だれなんだ」
朝日新聞社

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石のつぶやき1151 キノコから3倍の放射能 山形 [平成阿房伝]

政府規制値の3倍、放射能キノコ
ふたこと:これは偶々、偶然検査されただけの話。金額の張るものではないし、一部の人が困るだけ・・・。それも山形、逆に言えば山形でも未だにセシウムはきちんと残っているということだ。原発に近いところでは、とんでもないということだ。除染除染で泣く子も黙る。悪いけど風評被害という言葉は使い方が間違っている。無いところに有るのだろうというのが風評。100ベクレル以下だから、大丈夫と言われても困ってしまう。

9/22(土)18    18:47配信 さくらんぼTV


野生キノコ「サクラシメジ」から基準値超える放射性物質・販売施設が自主回収 山形

山形県の大江町と尾花沢市で販売された野生キノコ「サクラシメジ」から、基準値を超える放射性セシウムが検出されたことが分かった。

これは、厚生労働省が9月19日に行なった買い上げ調査で判明した。県によると、大江町の「道の駅おおえ」では、販売していた山形市産のサクラシメジから基準値の3倍にあたる1キロあたり300ベクレルの放射性セシウムが検出された。すでに1箱350グラム入りが6箱販売され、現在自主回収を進めている。

また、尾花沢市の「道の駅尾花沢」で販売していた市内産のサクラシメジからも、基準値を超える放射性セシウムが検出された。こちらの販売は、厚生労働省が調査のため買い上げたものに限られ、他への流通はないという。

県は25日以降に山形市と尾花沢市とその周辺市町から採取した検体を調べ、基準値を超えた場合、採取地の市と町に野生キノコ全てについて出荷の自粛を要請する



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狂牛病(BSE)情報1171 米、フロリダで狂牛病発生 [平成阿房伝]

ひとこと:6歳で肉牛ともなる乳牛だという。イギリスで肉牛は3歳を越すと市場に回せない。アメリカでもそれに近い。乳牛だけが年いって屠殺される。去年のカリフォルニアの乳牛は11歳だった。6歳というのが中途半端。肉牛として育てられていれば、とっくに肉となっている。どういう経緯で見つかったのか、気になる。
8月29日(水)18
BY JENNY STALETOVICH jstavich@miamiherald.com


フロリダの乳牛、狂牛病陽性

人に与える影響はないと州政府


フロリダ州の乳牛がアメリカで6頭目、フロリダで初めての狂牛病と判明。1980年代ヒトに感染する致命的な脳症がヨーロッパで流行して以来。

 感染は国の検査で見つけられ、流通せず人に影響をもたらすことはないと州農業局は水曜日に発表。

 6歳の肉牛でもある乳牛は、非定型の牛海綿状脳症検査で陽性と診断された狂牛病に感染した飼料で広がった通常の型と違い、非定型は自然に発生し極めて少ないと当局は言う。

 非定型は年いった家畜に見られるが原因は分かっていない。


 と畜にはむかないとされた乳牛は、アメリカ農務省の検証の一環として発見されたとメディア発表。州と国は調査中である。

今回のことが州家畜業界に与えるリスクは分かっていない。非定型の狂牛がヒトの脳症を引き起こすかどうかを当局は応えなかった。

 しかし、ドイツ国立研究所の2014年の報告によると、生焼きの病気の肉を食べれば非定型であってもヒトに感染すると考えるのが妥当だとされている。非定型はまた、通常の狂牛病を広げる感染した飼料の原因ともなるという。

狂牛病は通常年寄りに起こる稀な、進行性の致命的な脳症であるクロイツフェルトヤコブ病に結びついている。ヨーロッパで牛が感染して200人近くが狂牛病になった。
 
狂牛病は1986年イギリスで初めて診断され、何十万頭もの牛が感染した。それ以来他の国でも感染が見られるようになった。アメリカでは今までにカリフォルニア、アラバマテキサス、ワシントンでわずか5件が狂牛病と診断された。最後は2017年7月、11歳の乳牛が陽性と診断された

 世界的にみて、90例の狂牛病非定型が2014年報告されているとドイツは言う。
(以下略)
 
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石のつぶやき1150 2月以降、備忘録 [平成阿房伝]

8月31日(金)18
 今日も暑かった。家から出られない、籠もったきりだ。毎日座って過ごすだけである。尻がとんでもないほど痛くなる。背骨にも響く。骨と皮だけになっているので骨が直接椅子の木の部分にあたる。姿勢が悪いと骨がきしむようである。姿勢を正さぬと痛い。ごつごつする。歩いて何とか体重を増やして筋肉をつけたい。歩きたいが、この暑さだ。じっとしているしかない。9月からは歩かなくては・・・。歩かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ・・・。


8月25日(土)18
 時間だけが無駄に過ぎていく。書き残すことがない状態に陥っている。2月に入院していたとき、安倍は終わったと確信した。ただどういう形になるか、解散は出来ないだろう、どうするのだろうと思っていた。そうする内に安倍はオスプレイやF35を多量に買い込み、役立たずのイージスアショアを買う約束までしてしまった。値段はアメリカの言いなりである。契約というものがない。納入もアメリカの言う通り。金はむしられ放題。これが安倍のアメリカからの武器購入。これで安倍の首がつながったのかと思う。イージスアショア、ひとつ800億円だと言っていたが、ふたつで6000億円。ここまでアホな日本の総理大臣もいまい。アメリカの言う通り、望む通り。安倍自民党が続く限り、日本の民は不幸になるだけである。
それよりも残念なのは、わたくしの身体である。1月の診断で「末期」とされた。ちょっと待って欲しい。覚悟も何もない。困った。で、しなければならないことがあるかと問われれば、ないことがはっきりした。でもまだであって欲しいということだけは希望したい。結局4月11日の8時間以上に及ぶ手術を受けて成功したようだ。4月30日に退院した。そのとき体重は43㎏ぐらいであった。食べて体重を増やすだけのはずであった。腸ろうで毎日800ccを摂る。後は口から摂る。しかし口からは前のように詰まる。食道と大腸を接合した部分が案の定狭くなってしまったのだ。むしゃむしゃと食べると詰まってしまう。今のところ詰まって通らなくなったことはない。手術前より少しだけましなのかもしれない。今は腸ろうがあるから詰まっても何とかなるが、腸ろうを止めて完全に詰まる不安がある。しかし、9月からは腸ろうを止めて口からだけの摂取にしようかとも思っている。

 突然歩けなくなる
5月外来受診の二日位前、右肩が凝るので肩叩きで叩いていると、痛みが走る。いつものように叩いていただけなのに異変を感じた。鈍痛がして気持ち悪いのである。眠れない。5月18日は内視鏡とCT検査。歩くのが辛い。10メートル歩くのも大変だった。内視鏡の検査に行くと採血が先だという。辛いのも我慢して採血に行く。これだけ歩くのがしんどいのは初めてだ。以前にもあったがこれほど酷くはなかった。とにかく検査を終えて帰宅。座っているのも辛い。横になる。右肩の気味悪さはずっと消えない。眠れない。
 5月21日腸ろうが詰まったので電話する。昼頃来るように指示される。相変わらず歩くのが辛い。腸ろうは詰まりが回復していた。睡眠剤と痛み止めを処方してもらう。やっと眠れるようになるが痛み止めが切れると、右肩の気持ち悪さは以前にも増して酷くなる。

即、入院
5月25日、外来予約。歩くのが辛い。また採血が先。主治医の検診。辛いことを言っていると内科を受けることになる。外科から内科に移る。エコー検査を受ける。その結果即入院。そのまま入院することになる。歩けなくなった原因は、肝臓である。酒で歩けなくなったときがあった。それよりまだ酷い状態だ。肝臓にある嚢胞が感染していた。何に感染していたか、培養できなかったらしい。嚢胞が5個ほどある。大きいのは10センチを超える。感染した嚢胞を潰していく方法が採られた。嚢胞の中身を抜いた全体の量は、4リットルにも及んだらしい。その結果、血圧が20から30低くなった。心拍数も10以上少なくなった。体重も40㎏切れてしまった。嚢胞を固定するという方法だが、少しは液が出るという。その病理検査の結果はクラス2ということで、ガン化しないだろうと担当医は言う。6月16日まで入院する。
 それ以降順調と言うべきだろう。

8月19日(日)18
 
玉城デニー

@tamakidenny

そういえば思い出した。特定秘密保護法を審議していた委員会。法案の中身について法案の危険性を危惧する国民からのfaxを示して追及していた玉城の背後から女性の声で「日本語読めるんですか?分かるんですか?」と呟く声がした。質問を終えて振り返ると今をお騒がせの女性都知事候補その人だった。
16:14 - 2016年7月16日




3月21日(水)18 胃ろうか、腸ろうか?
 肌寒い雨の日である。気分が一層めいる。先週の水曜日に退院した。2回目の入院予定、抗がん剤治療の入院は、2月28日に決まっていた。ところが19日の昼に食べた鶏の唐揚げが詰まってしまったのだ。いつもなら時間が経てば通っていた。一晩も寝れば大丈夫だろうと思っていたが、詰まったままだった。22日の朝になっても詰まったままだったのでこれは危ないと思い、医大の看護師にでも相談しようと電話した。名前も言わずに交換手に、前に会ったことのある看護師に相談したい旨伝える。長く待たされた後、電話に出たのは主治医であった。とにかくすぐ病院に来るようにという。取りあえず病院に行く。
 すぐさまレントゲン室。チューブを挿入して詰まっているところのものを吸い出そうと試みるもうまくいかず。4時に入院するように指示される。
帰宅して椅子に座るともう動くことも出来ない。考えてみればこの4日間、飲まず食わずだった。かみさんが帰るのを待つ。出かける時間になるので荷物を運ぼうとするが心臓が躍るぐらい、どっと疲れが出る。しばらく休んでクルマに乗り込む。時間通りに消化器外科の受付に着く。しばらく待たされる間、ベッドに寝かされた。かくして入院することになった。取りあえず胃ろうを確保するという。もし出来なければ「腸ろう」ということになるという。
 23日、胃ろうの確保、食道からチューブを通すという作業。それでも全身麻酔だった。目が覚めてみると何の変化もなかった。胃ろうを諦めたみたいだ。26日の予定、腸ろうの確保の手術、これも全身麻酔。前日シャワーを浴びることと、へその掃除。
 26日、9時には手術室。目覚めると痛い。痛み止めは要望通りにしてくれる。2日は動けず。
 閑話休題。
 
腸ろう形成二日後、配合経腸用液を24時間注入することになる。2,3日して詰まったものが取れてきた。かなり酷い味のものが剥がれた感じであった。気分のよいものではない。絶飲食の、飲を勝手に解いた。食もとれたが、食べれば下痢になるので口からはあまり食べなかった。
 3月6日になって2回目の抗がん剤治療が始まった。2時間おきの尿採取も始まった。
 3月11日5本目の抗がん剤注入終了。
 3月12日点滴も終了。
 3月14日、かみさんと共に主治医の説明を聞く。総合的に判断すると骨への転移の疑いはあるとの見立ては払拭できない。最悪の判断をするという、ステージⅣの末期ガン。あとは抗がん剤治療、放射線治療をその都度行うであろうという結論となった。 (7月30日記)



   4月11日手術決まる
 3月30日の外来受診のとき、ガンが小さくなっているので手術が出来るという。しかしリスクも大きい。二の足を踏んでしまう。心変わりがあれば、手術の中止もあり得る。取りあえず、5日入院、11日手術という日程が決まった。三分の一残った胃が癒着している。癒着がどこまであるかで、十二指腸、あるいは小腸でつなぐことになる。長さが足りないので大腸の半分近くを使うことになる。大腸と食道をつなぐと、手術こぶが出来やすく十分な広さが確保できないことが多いという。今までと変わらぬのみ込み方となる。飲み込みづらさは解消しない。広げなければならないこともあるという。一番の問題は、大腸がくっつかないこともあり得る。その場合のことは、きかなんだ。
 かみさんに入院して手術することになったと告げると、聞いていない、話が違うと怒り出す。確かにこの前聞いた話とは違う。ただ私にとってガンを取り除いてくれるとありがたい。消えてくれればよいが、そのうち口から食べられなくなる可能性がある。それだったら食道のガンを取り除いた方がよいという主治医の思惑と一致した。
 4月6日、4時から下部内視鏡検査。初めてである。ポリープを除去してくれる。10個のポリープがあった。10個もあればガン化したのもあったかもしれぬ。しかしPET検査には反応しなかった。この大腸を繋ぎに使うのである。
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狂牛病(BSE)情報1170 モンゴルで狂牛病発生 2頭  [平成阿房伝]

ひとこと:狂牛病のニュースは少なくなった。しかし根絶には至っていない。肉骨粉が使われているからである。養殖サカナの餌、ペットフードなど。モンゴルが家畜輸出(肉輸出)するのであれば狂牛病や口蹄疫を発生させてはならない。原因究明が一番大事なことであろう。  発表しないところも出てきているだろう。狂牛病も、ヒトの狂牛病も・・・。

8月9日(木)18   XINHUANET


   モンゴルで 2頭の狂牛病発生
ウランバートル発9日(Xinhua)--モンゴルで2頭の狂牛病が見つかったと木曜日、ローカルニュースで報告された。食糧農業軽工業省はそのニュースを伝えた。

当局は月曜日、北Dark-Uul地方で狂牛病、牛スポンジ状脳症の牛が2頭見つかったという。

Batjargal Batzorig食糧農業軽工業省大臣は、被害をおさえるためのあらゆる方策を採ったと表明。


6千6百万頭の家畜を輸出する、従前の10倍もの目標を次年度から実施するとしていた。これは現在重鉱業に偏った輸出を是正する意味でもあった。

しかし繰り返し発生する家畜の病気、狂牛病や口蹄疫が肉の輸出に大きな打撃を与えている。
最近では5月半ばに15頭の狂牛病を発生させている
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石のつぶやき1149 自業自得、やはりアホでした [平成阿房伝]

2月9日(金)18
 6日に退院したが、抗ガン剤治療の後遺症で、酷い下痢と口内炎で気分の優れぬ時間を過ごしている。まだ詰まることが多く、量も食べられない。口内炎で食べたあとの気分が悪い。

2月10日(土)曇のち雨
2016年仕事を辞めようと思った。あと何年生きるのだろうとそのときふと思った。3年は大丈夫かなと思った。胃を切って今年で16年になる。ガンは大丈夫だろうと思い込んでいた。取りあえずややこしいのは、飲み込むときだった。話もしないし嚥下力が落ちたのだと思っていた。
 ただ止めなければと思っていたこと、酒を取りあえず止める必要があった。11月山が終わったあと酒しか飲まなくなってしもうた。これでは不味いと思いつつ1月に入ってしまった。その結果がこれだった。自業自得、何の申し開きもありません。以下の通りでございます。


2018年
1月5日(金)晴
 朝飯を食べると詰まってしまった。今まで毎日詰まってむせるが、飲み込めていた。酒は止めよう止めようと思いながら今日まで来た。医院が開くまで待って早めに出かける。1年以上来ていない。内視鏡は出来るものと思っていたが、やってないという。知り合いの医院に電話をかけてくれるが休院らしい。仕方ないので今までいっていた近くの診療所に電話する。とにかく診察を受けて欲しいという。
 何故その診療所に行かなくなったかというと、主治医が気にくわなくなったからだ。5,6年前に遡る。仕事に必要な健康診断書を求めたら、高血圧であるとか、肝臓がよくないとか書かざるを得ないという。それでは仕事できなくなるので何とかしてくれというても嘘は書けないという。今まで信頼してきたのがいっぺんに吹き飛んだのである。自己保身だけの奴であると。それでそこには行かなくなったが、降圧剤を仕入れるのにまた行かざるを得なくなった。前の勤務先の医院でもらっていたのが、仕事先が変わって近くでもらうことにした。例の医師のいない曜日にもらっていたが、恩師の息子さんがやっている医院があるのが分かってそこで薬をもらうことにした。それがはじめの医院である。
 久しぶりに会った。内視鏡検査をいうと、耳鼻咽喉科の方がよいとかいう。引っかかりがあったようだ。こちらは黙っていた。水曜日は内視鏡をやるらしい。医者が水曜日はと、看護師に聞く。1件入っているという。11時に入れようということになった。


1月10日(水)晴
 11時前に診療所に行く。診療の合間にするのであるから待たされる。内視鏡などの検査器具は洗浄が一番肝要であるが、その意識が日本ではどこまであるか気がかりである。器具から感染する。今日2番手である、心配であるが任せるしかない。
 やはりというか飲み込みづらい。いつもなら大丈夫、問題ないですねということだったが今日は違った。ワイヤーを挿入して皮膚の一部を培養液に入れた。3カ所取った。画面を見てみると食道の下部に入るところが一部白くうつっている。あきらかに他のところと違う。これが嚥下を妨げていたのだ。内径の三分の一近くを占めている。堅くなっているそうである。
 あとの画像判断で、「あきませんか」と問えば、よくないでしょうと返ってくる。どこの病院に予約しましょうかときた。市民病院で、わたくしの父は殺され、恩師も殺された。わたくしも前の手術のとき癒着してしまって、その後腸閉塞となった。2回も手術しなければならなかった。選択の余地はなかった。医科大にするしかない。じゃ予約するから連絡先をということになった。混んでいるところだから先になるだろうと見込んでいた。
 ところが帰宅して1時間もしないうちに診療所から連絡が入り、明日の9時の予約となったというのである。紹介状を夜の診療時間に取りに来るように指示された。これはよくないことの証。
 次の日から検査検査の毎日が続く。


1月11日(木)晴
 予定通り久しぶりに医科大に行く。しばらく待たされてどういう立場の医師か知らねど問診を受け、手術する方法までいう。生検を待つまでもなく、端から手術なんだ、深刻なんだと感じた。担当の医者はいろいろな指示を出していた。
 看護師に次の行き先をまとめた書類を受け取り、その通り動いていく。はじめにしたのが入院申し込み。その次に周術期管理チームというところに行く。麻酔科医、薬剤師、管理栄養士、看護師、歯科医とタッグを組む。初めて経験するものだ。それぞれ相談する予定が組まれた。検査時に済むように組んでくれた。そして入院に関する相談を終えて本日終了。


1月12日(金)曇
 手術部看護師と面談が14時。歯科医のチェックがその次。上の3本の歯のうち1本が歯周病だと。人工呼吸器をつけるのに緩いはがあれば危険なのでマウスピースを作るという。最後にCT検査。検査が終わったあと、消化器外科によるように伝言。
 しばらく待って診察、というか今後の体制で、追加検査の指示。PET、内視鏡。前とは違う医師。PETは他にがんがあるかを確かめるという。ことによっては放射線治療も考慮しているという。対象が大きいので抗がん剤で小さくしてから手術になるという。
 帰ると歯科から電話。マウスピース金曜日に結果を見るという。


1月16日(火)晴れ
 8時半に出る。バリウムによる胃のレントゲン。バリュウムが嫌で、健康診断で受けてこなかった。でも仕方ない。吐きそうになるが、量が少ないので何とか無事終える。
 薬剤師と面談。栄養士と面談。麻酔科医と面談。午前中に終わる。どこかで昼飯を食おうと思ったが、喰いたいものが見当たらない。洗車もする必要がある、あまりにも暖かい風も少ない洗車日和なのだ。帰宅することにする。ずいぶん使わなかった洗剤を使う。
 夕食が通らなかった。夕食前に冷蔵庫に保管していた柿を食べたのだ。ビタミンCが足りないので補給しようと思ったのだ。食道を広げる試みとして、あまりかまずに飲み込んだ。それでもあまり違和感はなかった。夕食で鳥のシチューを食べていると、どんどん溜まっていく感じで落ちない。苦しくなる。吐こうとするも大して出ない。がんばって吐いたが、鈍痛は治まらない。3時間ほどして水を飲む。膨れる感覚がする。牛乳も飲む。すっと通らない。でも少しはましになったか。

1月17日(水)雨
 3時前に起きる。小便する。
 朝飯を食う。その前に水を飲む。詰まった感じはなかった。朝飯をよくかんで飲み込む。少しずつ食べるが、通った気がしない。食べるのを止めると、戻りやすく、ほとんど水分。そのうち食べたものが出てくる。また通らない。
 便意を催したので、下からも出すと良いことがあるかもと・・・。昨日のバリウムが出れば良いのだがと思いながら出していると、途中から白いものが出てきたこれで安心だ。でも最後まで白かったので少しは残っているかも・・・。
 しばらくしてコーヒーを飲む。これはすんなり通った。これは嬉しい。 
PETだ。2時の予定。早めに着いたので、公園の駐車場で一服。病院で直接受付へ行く。待合室に入ると5人ぐらい待っている。そこでも一番に呼ばれる。
 検査服に着替えて血糖値の測定。正常とのこと。次に点滴。押し込むだけだ。それから別の部屋に移り、リラックスタイム。50分。そこで持参した水を500ミリリットルほどを飲むことになっている。食道の通りがよいかどうか確かめながら飲む。順調だ。時間がきて排尿。
 検査室に入る。機械はCTと変わらない。身体を4カ所に区切って画像を撮る。一カ所5分か。2回あった。2回目は10分程度か。身体を動かせないのは苦痛だが、それほど耐えられないことはない。終わって機械のメーカーを尋ねると、GEだと返ってくる。ここのCTは、東芝だった。検査が終わっても20分ほどの緩和タイム。検査後の注意事項に検査のあと人の多いところに行かない、子ども等の接触をなるべく避けるとある。かなりの被曝量なんだということ。
「 PETで使われるフッ素18 (18F と書きます)の半減期、放射能が半分に減る放射線物質の寿命は110分、炭素11 (11C と書きます)の半減期は20分と大変短いのが特徴です。このため、ひばく線量も低く抑えられ、全身のひばく線量は2.2~3.5ミリシーベルトといわれています。つまり1年間の自然放射線量と同等から2倍程度です。PET-CT検査ではCTによるひばくが加算され、2~3倍になりますが、それでも人体には全く害のない、自然放射線レベルのひばく線量です。他の検査、胃の透視やCT検査などとも、大差ありません。」(国立国際医療病院)
あとの問題は検査料。3万円以下だった、よかった。
 どこかで飯でも食おうかとも思ったが、面倒なのでまっすぐ帰ることにする。腹が空いているので昨日受け付けなかったシチューを食べる。すんなり入る。


1月18日(木)晴
 少し早めに着くと思ったが、予定時間通り。受付を済ませて待合室に行くと5,6人がすでに待っている。座ってすぐに呼ばれる。
 少し白く濁った液を飲まされる。そして麻酔の噴霧5回、5分口に留める。時間がきて口をゆすぐ。検査室へ。
 カメラ部分を嚥下するのが困難でかなり苦しかった。今まで一番苦しかった。かなり強引に入れるからだろう。その分看護師が身体を擦ってくれる。かなり着色液を流し込む。小さな鼻から入れる内視鏡で口から入れて、今度は3カ所生検用のサンプルを採る。
 終わって画像の説明を聞く。1カ所は診療所で観たものと同じ。ただ塞がるほどになっていた。通りが悪いと分かるほどだ。大きさや堅さが影響するほどになってきている。
 問題はその上に小さなものがたくさん変色して見える。これは大きいがんになるという。前の1カ所だけなら、腹腔鏡手術ということもあるが、この状態では分からない。どうするかあとの判断となるという。1万円あまり。
 昼飯を食うことを考えたが面倒になった。ホームセンターで光に反射するテープかその類いのものを手に入れる。クルマを駐車するときに後ろの景色がわかりにくいのだ、特に夜は。で試験的に買ってみた。
 母屋の離れの雨漏り対策に波板のトタンを被せてみた。効果があるか確かめるとだいぶましのようだ。他のところが漏れていた。


1月19日(金)晴
 8時半頃家を出る。9時10分前に病院に到着。歯科医の待合で詰め碁の本を読むまでもなく、呼ばれる。マウスピースの装着を試みる。最初歯肉にあたって痛い。少し動かしてくれる、きっちり収まった。これをして手術に望む。丁寧な措置である。万一歯が抜けて落ちたら大変なことになるという。すぐに終わった。
 いよいよわたくしの命の選択がなされる。予約の時間に1時間以上ある。詰め碁の練習本をかなりこなしていく。少々飽きかけたところで時計を見ると予約時間に迫っていた。担当の医師の部屋からひとり出てきた。しばらくして呼ばれる。録音機を入れて臨む。
 結果は出なかった。PETでの結果、骨(脊椎)の2カ所に小さく光っている部分があると他の医者が言う。もしそれがガンであれば末期、そうでなければⅡ、Ⅲ期の進行性ガン、その場合は手術。前者の場合は抗がん剤治療のみ、後者も抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術。いずれにしても入院ということになる。医者が入院日を指定。来週の水曜日か、木曜日。なんだかんだ言いながら、結局25日に決定。その前の月曜日。骨にガンがあるかの検査をする。核医学検査(骨シンチグラフィ)という。4,5時間かかる検査らしい。その結果で運命が決める。ただPETでは他の部位にガンが見つからなかった。心配していた肝臓にもガンはなかった。もし脊椎にガンがあればどこかの部位にも顕れようというものだがそれはわからない。検査するしかない。
 保険限度額の申請をする。何とか木曜日までに間に合わせると支所の係は言う。
 友人のおふくろさんの供養を仕入れる。1月1日に亡くなったという。92歳。夜店に行く予定だったがお参りが先だということと、今晩家族に話しておかねばならないと思って夜出かけるのを止める。頼んでおいた保証人を、書類に記入してもらうことにした。12時半頃に着く。眠そうな彼に書類の記入を頼む。おふくろさんの供養をする。
 どこかで飯でもと思うが、結論は出ず。スーパーで少し買って帰る。
 かみさんが帰ってきて今までの経緯を話す。
 珍しく息子たちが7時過ぎに帰ってきた。晩ご飯を食べたあと、今回のことを話す。今までの生活だったら当たり前だと非難囂々。いつものことだ。


1月20日(土)晴
 昼から息子に伝えておくべきこと、前々からきちんと言わなければならなかったことを伝える。消えた水路のこと、復活せよと言われたらどこをどうするか、何しろ水路は国のものだから。重要書類の入っているのはどこか。それから家のメンテナンス等々。取りあえず話すことは言っておいた。あとはその都度聞けばよいと・・・。
 禁煙する予定だったが、仕入れてしまった。何と意志の薄弱なことか。酒は全く飲む気にもならない。これが不思議だ。一口飲めばまた復活しそうなので極力飲まないでおく。でも入院前に一口飲んでもよいだろう。あと、飲もうと思っても飲めない。


1月21日(日)曇
 朝いつものようにいつものように朝食を摂る。
 昼飯にミートソースもどきを作る。食べるが途中で詰まりだした。吐きだした。いつまでも通らない。ほとんど出したようだ。それでも苦しく、吐く唾をためて何回も吐きに行くのを我慢していた。ちょっとした弾みで、それが気管に入った。咳き込んで咳き込んで大変だった。肺炎になるかもしれない、焦った。しかし5時頃まで食道は落ち着かなかった。やっと水分が飲めるようになった。よかった。今回が最悪だった。ほとんど吐いていた。もちろん食べたものは出なくなったが、唾液のようなものがすぐに溜まるのだ。それを吐くことの繰り返しだった。


1月22日(月)曇のち雪、雨に
 8時半に出る。受付を済ませると、すぐに注射。4時間待ち。飲食しても何でも好きなように過ごせと言う。1時前に来るように言われる。行くところがないので帰宅して新聞を読んだりニュースを見たりして過ごす。朝飯はすんなり収まった。昨日までの残り物を少し食う。何の問題もない。昨日のことは嘘みたいだ。12時半に病院に向かう。1時前の到着。すぐに検査室へ。検査の前に小便をしてくれと。戻って金属類のものを外す。CTやPETと違い、箱形である。撮り方は同じ。30分以上、40分近くかかる。結果を問うが、細部に亘って画像を作成するのでそれまで詳しい結果は分からないという。機械はGE製。
 帰りに靴下とパッチを仕入れる。雪がよく降る。店から出ると雨に変わっていた。コーヒーを飲みに寄ろうかとも思ったが、面倒なので帰る。コンビニで1月分の国保料を支払う。ついでにタバコ仕入れる。このタバコが最後になろう。


  検査料金 科目    料金
 ・1月4日 医院 受診       850
・1月4日 診療所 受診 850
・1月10日  診療所 内視鏡検査 8430
  ・1月11日  医大 診察及び検査
・1月12日  医大  歯口 5400
〃 〃 CT検査 9110
・1月16日 〃  バリウム・レントゲン 2940
・ 〃  〃 麻酔科   780
・1月17日  〃  PET 24780
 ・1月18日  〃 内視鏡 10150
 ・1月19日 〃 歯口 230
〃 〃 消化器外科受診 220
 ・1月22日 〃 骨シンチグラフィ 13600
計 77340

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石のつぶやき1148 大事故を起こすまで飛び続ける米軍ヘリ [平成阿房伝]

ふたこと:内地はオキナワを差別している。天皇の内地を、国体を維持するために沖縄を犠牲にした。沖縄戦である。オキナワの人達は多大な犠牲を払わされた。唯一の日本国土で行われた戦争であった。民間人が巻き込まれた。その責めは未だに誰も負わぬ。内地の軍人軍属には恩給があるが、オキナワの殺された人達には何もない。  敗戦後内地にも進駐軍という基地が多々あった。しかしそれも内地からオキナワへ集約されていった。日本の7割以上の米軍基地の存在だ。米軍基地があるからオキナワの人達の人権が脅かされる。それを内地の政府にいくら訴えても、無視される。アメリカ政府にオキナワのことを訴えることなど、安倍晋三政権は露ほども考えていまい。何しろアメリカの奴隷であることに嬉々としている輩であるからだ。アメリカに抗議したと言っても本当かどうか誰も知らない。沖縄は完全に差別され、無視され続ける。  いずれ大事故が起こる。



12/20(水)17 8:15配信 沖縄タイムス

日本政府に当時者意識や危機感あるか? 米軍ヘリ飛行再開で識者に聞く


 普天間第二小学校に米軍CH53Eヘリの窓が落下してから1週間もたたない中、米軍は同型機の飛行を再開した。飛行停止を求める子どもたちや地域住民の切実な声を聞き入れず、訓練を強行する米軍と、それを容認する日本政府に反発が広がる。この状況をどう見るか、識者に話を聞いた。


 ■安全を守る義務、国に 木村草太さん

 憲法学者で首都大学東京教授の木村草太さんは「日本政府は、国民の安全を守る義務があると憲法13条で明記されている。当然、政府が責任を持って命の危険がないように対処すべき要件だ」と断言する。

 県民の飛行停止要求を無視し、事故原因の説明すらないままの飛行再開については「飛行計画について、地元自治体と合意の下で計画を練っていくことが本来の在り方。日本政府は米軍に説明を求め、丁寧に地元自治体へ説明し、了承を得るプロセスが欠かせない。そのどれもが行われていない」と問題視した。

 また戦後72年、本土復帰45年を経ても、米軍絡みの事件事故による危険性が放置されている現状に言及。「日本政府に当事者意識がないことが最大の問題で、米軍基地の沖縄への集中が根っこにある。東京の小学校で同様な事故が起きたら、反応はもっと大きくなるはずだ」と批判した。

 ■特異的な日米地位協定 喜多自然さん

 日米地位協定に詳しい喜多自然(じねん)弁護士は昨年の名護市安部でのオスプレイ墜落、東村高江でのヘリ炎上、さらに今回の落下事故でも原因究明がないまま飛行再開したことを問題視「日本は主権国家。国民の命が脅かされているのに、長い慣行と対米従属から抜け出せない。それが一番の問題だ」と語る。

 日本と同じく米軍が駐留するイタリアでは、重要な軍事行動には政府の承認が必要という。大事故をきっかけに、同政府は米軍の低空飛行訓練を厳しく制限措置した例を紹介し「米軍基地のある各国と比べても、日米地位協定は特異だ。国際的な視点で米軍基地の在り方を捉え直す必要がある」と訴えた。

 ■日米政府に危機感なし 柳澤協二さん

 元内閣官房副長官補の柳澤協二さんは「米軍に飛行をやめる気はなく、日本政府も、米軍が駐留している以上は訓練が必要と思っている」と指摘。

 「沖縄の反対運動に火が付き、基地が維持できなくなるという危機感がない。日米両政府にその危機感がなければ沖縄の声は届かない。持続的な運動を展開していくしかない」と話した。




1/24(水)18   11:30配信 沖縄タイムス

米軍ヘリ渡名喜島不時着:小野寺防衛相、AH1Zの飛行停止を要求



 【東京】小野寺五典防衛相は24日午前、米軍普天間飛行場所属AH1Z攻撃ヘリが沖縄県渡名喜村のヘリポートに不時着したことを受け、普天間所属の同型機全機の緊急総点検と、その間の飛行停止をマルティネス在日米軍司令官に要求したことを明らかにした。

小野寺防衛相「あまりに多い」と懸念

 日本政府が米軍に飛行停止を求めるのは異例

 今月に入り、基地外への緊急着陸が相次いでいることや、AH1Zは今月8日に読谷村でも不時着していることから、飛行停止要求に踏み切った。




2018年1月8日 21時03分(最終更新 1月8日 22時22分) 毎日新聞

「いつかは大事故」沖縄県民怒りと不信

 「もう空を飛ぶな」「いつかは大事故が発生する」。沖縄県うるま市の伊計島に6日に不時着した米軍普天間飛行場のUH1ヘリが撤去された8日、今度は同県読谷村に同飛行場所属のAH1ヘリコプターが不時着した。トラブルが繰り返され、危機感を募らせる沖縄県民からは米軍への怒りや不信の声が続々と上がった。

<米軍ヘリ不時着>今度は読谷村で 沖縄の反発高まる
<被害我慢で米軍から「感謝状」? ヘリ炎上の地主困惑>
<米軍ヘリ窓枠、小学校に落下 校庭で授業中1人軽傷>
<米軍ヘリ窓落下「やらせだ」「文句言うな」被害小学校に続く中傷>
<「次は何が落ちてくるのか」…子供たちも「やばかった」>
 AH1ヘリはホテル近くの民間地に不時着した。読谷村職員の上地薫さん(33)は友人から「米軍ヘリが不時着したらしい」と連絡を受けて現場付近に駆け付けた。約100メートル先に不時着した機体が見えたが、大きな損傷などは見られなかったという。

 上地さんは「伊計島で不時着があったばかりで、またかという感じだ。米軍は本気で改善する気があるのだろうか。怒りよりあきれる。いつ自分の家に落ちてくるかも分からない」と語った。

 読谷村の会社員、町田宗久さん(53)は村内のビーチにいたところ、低空で飛ぶ米軍ヘリを見て「いつもよりも半分の低さで危ない」と感じた。その後、ニュースを見て不時着を知り、「怖い。早く米軍基地をなくしてほしい。沖縄にとっては安全保障の問題は生活の問題。本当に米軍基地が必要だったら全国で分散して負担してほしい」と語った。

 普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設に反対する「ヘリ基地反対協議会」の安次富(あしとみ)浩共同代表(71)は、北朝鮮情勢が緊迫化している現状を踏まえて「ホテルに落ちていたら大惨事だ。米軍は沖縄を戦場に見立てて激しい訓練をし、その被害を我々が受けている。トラブルが起きても米軍が調査をし、日本政府はその結果をうのみにするだけ。そんな政府では県民を守れない。もう米軍機は沖縄の空を飛ぶな」と憤った。

 名護市議の大城敬人(よしたみ)さん(77)は「不時着が度重なり、いずれ大事故につながるという不安が大きい。原因が分かるまで米軍ヘリは飛行中止すべきだ」と語った。

 普天間爆音訴訟団事務局長の高橋年男さん(64)は「(相次ぐ不時着には)言葉がない。いつまでこんな危険と隣り合わせの生活をしなければならないのか」と話した。

 伊計島から不時着したヘリが撤去された後で、翁長雄志(おなが・たけし)知事は名護市で記者団に対し「怒りを通り越している。いろいろな事件や事故を起こしながら何ら改善されておらず、だらしないという感じがする。もうやめてくださいということしかない」と米軍を厳しく批判した。県は9日に防衛省と外務省の担当者を県庁に呼び、抗議する。【佐藤敬一、中村敦茂、菅野蘭】



1月8日(月)18 時事

また米軍ヘリ不時着=普天間飛行場所属-リゾートホテル近く-沖縄・読谷

 8日午後4時45分ごろ、沖縄県読谷村儀間の廃棄物処分場に米軍ヘリコプターが不時着した。県警などによると、乗員2人と住民に負傷者はいない。ヘリは普天間飛行場(同県宜野湾市)所属の海兵隊のAH1攻撃ヘリ。現場近くにはリゾートホテルがある。

 沖縄県では6日に普天間配備のUH1ヘリがうるま市の伊計島の砂浜に不時着し、8日に撤去作業が終わったばかりだった。頻発する米軍機のトラブルに県民の不安と反発が一段と高まるのは必至だ。
 小野寺五典防衛相は8日、記者団に「(事故が)多過ぎる。地元の皆さんの心配は当然と思う」と強調し、情報提供や安全の徹底を米軍側へ求める考えを示した。
 県警によると、8日午後4時50分ごろに、「米軍ヘリが不時着した。エンジンローターがまだ回った状態」との通報があった。
 政府関係者によると、機体の不具合を示す警告が点灯し、予防着陸したという。米軍が機体の詳しい状況を調べている。(2018/01/08-20:19)


UH-1(英語: UH-1 Iroquois・イロコイス、愛称:Huey・ヒューイ、旧称:HU-1)は、アメリカ合衆国のベル・エアクラフト社が開発したモデル 204/205/212ヘリコプターのアメリカ軍における制式名称。1959年よりアメリカ陸軍で採用され、ベトナム戦争などで活躍した。現在は後継機種のシコルスキーUH-60 ブラックホークに置き換えがすすんでいるが、日本の陸上自衛隊を含めて多くの国々では現役である。


モデル209にはAH-1G ヒューイコブラという制式名称が与えられた。1966年4月に試作機(プロトタイプ)2機に続き、量産機100機の発注がなされた。そして1967年の9月には実戦に投入されている。 一方、本命であったAAFSS計画は、AH-56の技術面・コスト面の問題を解決する事ができず、構想の大幅な見直しなどが重なったことからキャンセルされてしまった。よってAH-1に主力攻撃ヘリの座を譲る事となり、今日に至る。また、このキャンセルによって暫定攻撃ヘリコプターという ...
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