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石のつぶやき998 棄民としてのオキナワ [平成阿房伝]

6月24日(水)15     朝日デジタル版


続く不条理、もっと知って 沖縄タイムス編集局長に聞く 慰霊の日



 沖縄にとって「6・23」は特別な日だ。沖縄の地元メディアはこの日に何を考え、本土に何を感じとってほしいと願っているのか。地元紙・沖縄タイムスの武富和彦編集局長(53)に聞いた。

 第2次大戦をめぐり、天皇陛下はかつて「四つの日」について「記憶しなければならない」と表現した。その中で、終戦の日の8・15と広島、長崎に原爆が投下された8・6、8・9は広く知られているが、6・23は全国的には認知度が低い

 原因の一端は、「本土メディア」、特に、地方紙とは違って政権に日常的に接している「東京メディア」の冷淡さにあるのではないか。沖縄戦は辺境の地、遠く離れた南の島で起きたことだという「ひとごと感」がないだろうか。

 しかし、沖縄戦は、米軍の本土侵攻を遅らせるために日本軍が沖縄を「捨て石」にする作戦を取ったために起きた。そうした経緯は広く理解されていないように思う。

 沖縄戦への無理解は、現在の米軍基地問題にも通じる

 菅義偉官房長官は「普天間問題の原点は危険性除去だ」と言う。しかし、日米両政府が普天間返還を打ち出したのは、あくまでも、1995年の米海兵隊員による少女暴行事件がきっかけだ。普天間の危険性は、それ以前からずっと続いていた。本土の人たちには、いまの基地問題が沖縄戦の延長線上にある、ということを知ってほしい。

 70年前に住民を巻き込んだ戦闘が沖縄で繰り広げられ、それを起点に不条理な現実が続いてきた。土地が奪われて基地が造られ、米軍機が好き放題に頭上を飛び交い、事件や事故が続く。県内に新たな基地を造らないでほしいと訴えると、「嫌なら代替案を出せ」という。不条理だ。そうした歴史的経緯を、多くの人に知ってほしい。

 現在の安全保障法制を巡る議論を見ていると、「戦後70年」ではなくて「戦前○年」という時代に生きているのでは、と思う時がある。沖縄に生きる我々は戦争のむごたらしさを身近に感じてきたから、そうした空気にも敏感なのかもしれない

 「70年もたってまだ戦争の話をするのか」と思う人もいるかもしれない。だが、例えば沖縄県糸満市の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」に刻まれた24万人を超える犠牲者の名前を見るだけでも、感じ取ってもらえることがあるはずだ。

 たった一発の銃弾で、あるいは軍命による「集団自決」や避難先での飢餓などで、その後何十年も生きたであろう命が失われる。死んで放置された人間の体は腐るし、ウジがわく。それが戦争というものだ。(聞き手=那覇総局長・松川敦志)

 
ふたこと:棄民としてのオキナワを見れば、本土の沖縄に対する仕打ちがよく理解できる。人種の違いがすなわち「差別」をもたらすのである。その巧妙な差別が戦前戦後一貫している。オキナワンチューはヤマトンチューではない、違うことから差別するのである。差別の構造である。戦前戦後を通じてオキナワはヤマトの人身御供なのである。戦前はヤマトに対する。戦後はアメリカ・ヤマトに対する。戦後ヤマトはアメリカの奴隷である。日米地位協定の元、日本は奴隷の道を選ばされたのである。それを眼くらますためのオキナワなのである。ドイツ、イタリアも同じ道であったが、90年代に主権を取り戻した。ヤマトは主権を取り戻す交渉すらしていない。官僚の支配なのだ。官僚はおのれの生き死にには敏感であるが、日本がどのような状態であろうと関心がない。政治家が住む民の命と財産を護るために不平等を解消しなければならないはず。安倍の「戦後レジーム」からの脱却は、そのことを示しているのだと錯覚した。そしてその行く末は日本帝国万々歳、と思うた。ところが、日本はアメリカの奴隷になることを嬉々として安倍は宣言したのだ。そのためには人身御供も辞さないと・・・。オキナワのことなど考慮する余地などあり得ない。ヤマトはアメリカの奴隷としての役割を果たすのである。
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