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石のつぶやき1069 比大統領の「くそったれ」考 [平成阿房伝]

9月14日(水)16

比大統領の米大統領に対する暴言の意味


 米のオバマ大統領がフィリピンの麻薬撲滅は人権侵害だと非難したのに対して、フィリピンのドゥテルテ大統領はタガログ語で«Putang ina»「くそったれ」と返した。英語では" son of bitch"あるいは" son of whore"と表現される。相手を侮辱する言葉としては、最大級である。大統領選挙での公約=麻薬撲滅で、警察が2,000人以上の売人を銃殺していて、その中には子どももいると報じられている。そのことでオバマ米大統領がフィリピンを非難した。その言葉はフィリピンで言ったことなのである。それがマスメディアに漏れて米大統領はビエンチャンで予定していた会談を中止した。当然の帰結と言えよう。

 フィリピンはアメリカの植民地であったとき、ひどい目に遭ったという記憶がある。「おまえに言われる筋合いはない」とドゥテルテ大統領は以前から思っていた。本音を漏らしたということだ。独立してからも米軍基地は当然のようにあった。しかし「クラーク空軍基地は1991年4月に近くのピナトゥボ火山が噴火し、火山灰の降灰により基地の大部分が使用不可能となり、アメリカ政府は同基地の放棄を決定した。また、スービック海軍基地は米海軍のアジア最大の国外基地だったため維持を希望したが、フィリピン政府により拒否されたため両基地とも1991年11月26日にフィリピンへ返還された」(ウィキペディアより)
 ところが中国との南シナ海の領有権をめぐる問題で、ベニグノアキノ前大統領はアメリカにフィリピンに戦艦や戦闘機が駐留するすることを要望した。アメリカにとっては渡りに船。ということで悲しい米軍基地が戻ったのだ、日本と同じような地位協定で。現フィリピン大統領にとっては不本意であったのだろう。

 ドゥテルテはオバマのことを十分承知している。オバマは子どものときジャカルタのイスラムの公立学校でコーランを暗唱していた。彼はオバマの母親に関して、歴史には関係のない普通の女ではないと思っている。オバマの母Stanley Ann Dunhum Obama-Soetoroの役割は、1965年のムスリムと米CIAとの戦いの中にあった。結果、スカルノ大統領はクーデターで失脚させられた。

 オバマのインドネシアの養父、LOlo Soetoro中佐は、クーデター側についた。クーデターで、多くの共産主義者や華僑が惨殺された。

 1967年母と幼いオバマは、ジャカルタで戦犯でもある父と再会した。
世界で一番ムスリムの多い国に来たあと、オバマの母親はCIAに関係する米国際協力機構(USAID)で働き、仕事は中央ジャワの共産主義者の情報をできる限り集めることだった。

 インドネシア情報局によると、オバマの母はジャワの村や田舎のインドネシア共産党やスカルノの幹部を撲滅に関わったとされている。USAIDが資金援助した文化人類学者AnnDunham-Soetoroとして行動した。そのオペレーションのコードネームとは、CIAによって設立されたProject ProsymあるいはPROSYMである。

もうひとつドゥテルテが気にくわないことは、駐比米大使Philip Goldbergが麻薬売人撲滅を公に非難したことである。そのときも彼は米大使を「くそったれ」とののしった。英語では «gay son-of-a-bitch»と言っていたのである。

 その背景には、この駐比大使の前歴にある。ボリビアから追い出されているのである、モラレス大統領に。オバマの意向でこの大使はボリビア右派とクーデターを企てていたのである。

 比大統領はオバマとゴールドバーグがCIAと連んでいることが分かっていたのだ。そして彼が頭にきていたのは、フィリピンのドナルドトランプと、西側のマスメディアに揶揄されていたことだ。

安倍はドゥテルテに海上警護の「おもちゃ」を貸与すると申し入れていたが、彼は受けいるのだろうか?
参考文献(Obama-Duterte Blow Up: What the Western Corporate Media Doesn’t Get from the ….. WAYNE MADSEN )





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