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石のつぶやき1150 2月以降、備忘録 [平成阿房伝]

8月31日(金)18
 今日も暑かった。家から出られない、籠もったきりだ。毎日座って過ごすだけである。尻がとんでもないほど痛くなる。背骨にも響く。骨と皮だけになっているので骨が直接椅子の木の部分にあたる。姿勢が悪いと骨がきしむようである。姿勢を正さぬと痛い。ごつごつする。歩いて何とか体重を増やして筋肉をつけたい。歩きたいが、この暑さだ。じっとしているしかない。9月からは歩かなくては・・・。歩かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ・・・。


8月25日(土)18
 時間だけが無駄に過ぎていく。書き残すことがない状態に陥っている。2月に入院していたとき、安倍は終わったと確信した。ただどういう形になるか、解散は出来ないだろう、どうするのだろうと思っていた。そうする内に安倍はオスプレイやF35を多量に買い込み、役立たずのイージスアショアを買う約束までしてしまった。値段はアメリカの言いなりである。契約というものがない。納入もアメリカの言う通り。金はむしられ放題。これが安倍のアメリカからの武器購入。これで安倍の首がつながったのかと思う。イージスアショア、ひとつ800億円だと言っていたが、ふたつで6000億円。ここまでアホな日本の総理大臣もいまい。アメリカの言う通り、望む通り。安倍自民党が続く限り、日本の民は不幸になるだけである。
それよりも残念なのは、わたくしの身体である。1月の診断で「末期」とされた。ちょっと待って欲しい。覚悟も何もない。困った。で、しなければならないことがあるかと問われれば、ないことがはっきりした。でもまだであって欲しいということだけは希望したい。結局4月11日の8時間以上に及ぶ手術を受けて成功したようだ。4月30日に退院した。そのとき体重は43㎏ぐらいであった。食べて体重を増やすだけのはずであった。腸ろうで毎日800ccを摂る。後は口から摂る。しかし口からは前のように詰まる。食道と大腸を接合した部分が案の定狭くなってしまったのだ。むしゃむしゃと食べると詰まってしまう。今のところ詰まって通らなくなったことはない。手術前より少しだけましなのかもしれない。今は腸ろうがあるから詰まっても何とかなるが、腸ろうを止めて完全に詰まる不安がある。しかし、9月からは腸ろうを止めて口からだけの摂取にしようかとも思っている。

 突然歩けなくなる
5月外来受診の二日位前、右肩が凝るので肩叩きで叩いていると、痛みが走る。いつものように叩いていただけなのに異変を感じた。鈍痛がして気持ち悪いのである。眠れない。5月18日は内視鏡とCT検査。歩くのが辛い。10メートル歩くのも大変だった。内視鏡の検査に行くと採血が先だという。辛いのも我慢して採血に行く。これだけ歩くのがしんどいのは初めてだ。以前にもあったがこれほど酷くはなかった。とにかく検査を終えて帰宅。座っているのも辛い。横になる。右肩の気味悪さはずっと消えない。眠れない。
 5月21日腸ろうが詰まったので電話する。昼頃来るように指示される。相変わらず歩くのが辛い。腸ろうは詰まりが回復していた。睡眠剤と痛み止めを処方してもらう。やっと眠れるようになるが痛み止めが切れると、右肩の気持ち悪さは以前にも増して酷くなる。

即、入院
5月25日、外来予約。歩くのが辛い。また採血が先。主治医の検診。辛いことを言っていると内科を受けることになる。外科から内科に移る。エコー検査を受ける。その結果即入院。そのまま入院することになる。歩けなくなった原因は、肝臓である。酒で歩けなくなったときがあった。それよりまだ酷い状態だ。肝臓にある嚢胞が感染していた。何に感染していたか、培養できなかったらしい。嚢胞が5個ほどある。大きいのは10センチを超える。感染した嚢胞を潰していく方法が採られた。嚢胞の中身を抜いた全体の量は、4リットルにも及んだらしい。その結果、血圧が20から30低くなった。心拍数も10以上少なくなった。体重も40㎏切れてしまった。嚢胞を固定するという方法だが、少しは液が出るという。その病理検査の結果はクラス2ということで、ガン化しないだろうと担当医は言う。6月16日まで入院する。
 それ以降順調と言うべきだろう。

8月19日(日)18
 
玉城デニー

@tamakidenny

そういえば思い出した。特定秘密保護法を審議していた委員会。法案の中身について法案の危険性を危惧する国民からのfaxを示して追及していた玉城の背後から女性の声で「日本語読めるんですか?分かるんですか?」と呟く声がした。質問を終えて振り返ると今をお騒がせの女性都知事候補その人だった。
16:14 - 2016年7月16日




3月21日(水)18 胃ろうか、腸ろうか?
 肌寒い雨の日である。気分が一層めいる。先週の水曜日に退院した。2回目の入院予定、抗がん剤治療の入院は、2月28日に決まっていた。ところが19日の昼に食べた鶏の唐揚げが詰まってしまったのだ。いつもなら時間が経てば通っていた。一晩も寝れば大丈夫だろうと思っていたが、詰まったままだった。22日の朝になっても詰まったままだったのでこれは危ないと思い、医大の看護師にでも相談しようと電話した。名前も言わずに交換手に、前に会ったことのある看護師に相談したい旨伝える。長く待たされた後、電話に出たのは主治医であった。とにかくすぐ病院に来るようにという。取りあえず病院に行く。
 すぐさまレントゲン室。チューブを挿入して詰まっているところのものを吸い出そうと試みるもうまくいかず。4時に入院するように指示される。
帰宅して椅子に座るともう動くことも出来ない。考えてみればこの4日間、飲まず食わずだった。かみさんが帰るのを待つ。出かける時間になるので荷物を運ぼうとするが心臓が躍るぐらい、どっと疲れが出る。しばらく休んでクルマに乗り込む。時間通りに消化器外科の受付に着く。しばらく待たされる間、ベッドに寝かされた。かくして入院することになった。取りあえず胃ろうを確保するという。もし出来なければ「腸ろう」ということになるという。
 23日、胃ろうの確保、食道からチューブを通すという作業。それでも全身麻酔だった。目が覚めてみると何の変化もなかった。胃ろうを諦めたみたいだ。26日の予定、腸ろうの確保の手術、これも全身麻酔。前日シャワーを浴びることと、へその掃除。
 26日、9時には手術室。目覚めると痛い。痛み止めは要望通りにしてくれる。2日は動けず。
 閑話休題。
 
腸ろう形成二日後、配合経腸用液を24時間注入することになる。2,3日して詰まったものが取れてきた。かなり酷い味のものが剥がれた感じであった。気分のよいものではない。絶飲食の、飲を勝手に解いた。食もとれたが、食べれば下痢になるので口からはあまり食べなかった。
 3月6日になって2回目の抗がん剤治療が始まった。2時間おきの尿採取も始まった。
 3月11日5本目の抗がん剤注入終了。
 3月12日点滴も終了。
 3月14日、かみさんと共に主治医の説明を聞く。総合的に判断すると骨への転移の疑いはあるとの見立ては払拭できない。最悪の判断をするという、ステージⅣの末期ガン。あとは抗がん剤治療、放射線治療をその都度行うであろうという結論となった。 (7月30日記)



   4月11日手術決まる
 3月30日の外来受診のとき、ガンが小さくなっているので手術が出来るという。しかしリスクも大きい。二の足を踏んでしまう。心変わりがあれば、手術の中止もあり得る。取りあえず、5日入院、11日手術という日程が決まった。三分の一残った胃が癒着している。癒着がどこまであるかで、十二指腸、あるいは小腸でつなぐことになる。長さが足りないので大腸の半分近くを使うことになる。大腸と食道をつなぐと、手術こぶが出来やすく十分な広さが確保できないことが多いという。今までと変わらぬのみ込み方となる。飲み込みづらさは解消しない。広げなければならないこともあるという。一番の問題は、大腸がくっつかないこともあり得る。その場合のことは、きかなんだ。
 かみさんに入院して手術することになったと告げると、聞いていない、話が違うと怒り出す。確かにこの前聞いた話とは違う。ただ私にとってガンを取り除いてくれるとありがたい。消えてくれればよいが、そのうち口から食べられなくなる可能性がある。それだったら食道のガンを取り除いた方がよいという主治医の思惑と一致した。
 4月6日、4時から下部内視鏡検査。初めてである。ポリープを除去してくれる。10個のポリープがあった。10個もあればガン化したのもあったかもしれぬ。しかしPET検査には反応しなかった。この大腸を繋ぎに使うのである。
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